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恩田陸「蜜蜂と遠雷」(幻冬舎)
国際ピアノコンクールを舞台に、四人のコンテスタントを中心とした人間模様と音楽を描いた小説。



プロのレベルとはかけ離れているが、私も学生時代は吹奏楽コンクールに出場し、今も趣味で音楽をやっているので、音楽の世界が独特であることや、コンクールのドラマ性などは実感できるものがある。
何百回、何千回と練習しようと舞台で演奏するのはたったの一度だけ、しかもコンクールにおいては、途中で選考から漏れてしまったら、それ以降の課題曲は一度も舞台で演奏せずに終わってしまうという、その無情さ。音楽は、演奏者のその時の精神状態を表し、変にあがってしまったら普段通りの演奏ができなくなり、今までの努力が水の泡になってしまうという恐怖。
また、プロになるには小さいころからひたすら練習に励み、楽器代、衣装代、渡航費などとにかく莫大なお金がかかるため、恵まれた家庭の子どもしか音楽を続けることはできず、さらには有名な先生に師事していないとコンクールで不利になるなど、音楽界の独特さも良く描かれている。

本書で中心的に描かれている四人は、一人一人様々な背景を持っており、偉大なる師、いつも連れ添ってくれた母、優しい祖母など、それぞれに多大な影響を与えてくれた人、いわばメンターを持っていて、そこに小説としての面白さがある。偉大な音楽家が遺した謎めいた推薦状に、異端のコンテスタント、自分を音楽の世界へと導いてくれた幼馴染との奇跡の再会など、いかにも小説らしい展開もあるが、随所で感動してしまうことも。特に栄伝亜夜が一次、二次へと進むにつれ、周囲のコンテスタントの影響を受けながら成長していくさまがよかった。
このような一人一人の背景と心境を読んでいるうちに読者はおのずといずれかのコンテスタントを応援したくなり、まるでひいきのチームが出場しているスポーツの実況中継を見ているような感覚で、はらはらとしながら結果発表のシーンを待ちわびるのだ。

そころで、ピアノコンクールが舞台なだけあって、この小説の大半はピアノの演奏シーンで構成されている。音を聴かせることのできない小説において、音楽を表現するのはさぞ難しいだろうが、それぞれの演奏者の音の特長や、曲が持つ歴史的背景、さらに後半ではその音楽から喚起される物語を表現することで、聴こえないはずの音を「聴かせて」いる。その表現力が素晴らしい。
とはいえ、やはりどんな曲か実際に聴いてみたいな、と思ったら、本書に登場するピアノ曲のCDも販売されていた。さすがだ。こちらも欲しくなってしまうのが人情である。





ところで、私はというと、天才肌タイプよりも一般人に近い人間に興味がわくらしく、「生活者の音楽」をめざし、楽器屋さんに勤務しながらコンクールに臨む最年長の明石を応援していたが、さて、果たして結果は…?

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角田光代「私のなかの彼女」(新潮文庫)
これぞ角田光代、といった印象の作品である。
女として生きること、母と娘、夫あるいは彼氏との関係、妊娠、仕事といった角田作品おなじみのテーマが多分に含まれ、亡き祖母の過去をたどっていくというストーリーには『ツリーハウス』にも通じる、ファミリーヒストリーの要素がある。そして決して楽しい話ではないのに先が気になって読み進めてしまう点も角田作品らしい。



本書のあらすじは次の通りである。
主人公の和歌はこれといった特徴のない普通の女の子だが、大学時代から交際している和歌の彼氏、仙太郎はセンスが良く才能もあり、学生時代から売れっ子アーティストとして活躍している。社会人として働き始めたある日、和歌は偶然、実家の蔵から亡き祖母の著書を見つけ、祖母が作家だったのではないかと思い始める。そして祖母の過去を探っていくうちにその存在に感化され、自身も物語を書き始め、作家への道を歩み出す。賞を受賞し、和歌は専業作家としての活動を始めるが、仕事をするにつれ、家事はおろそかになり生活は乱れ、仙太郎との関係も次第に崩れていくー。

ここでは和歌、和歌の母親、そして和歌の長年の彼氏である仙太郎の三人にしぼってその人物像と本の主題のようなものを考えてみたい。
まず、主人公の和歌だが、読んでいて悲しくなってくるくらい自信がない。学生時代から自分は頭が悪い、美人でもないと繰り返し、文学賞を受賞しても周囲の作家と比較して自信を持てずにいる。 それに輪をかけるように、特に後半から仙太郎の発言が和歌に釘を刺す。いい気になるな、作家としての下地を持っていない者は弱い、などという発言が和歌の自信のなさに追い打ちをかけ、さらにだらしない生活をしていることを批判され、和歌は常に仙太郎に見張られているように感じ、びくびくとして日々を過ごす。
この和歌の自信のなさはどこから来るのだろうと考えたとき根底には母の存在があると考える。和歌の心のよりどころになっているともいえる祖母の存在をひたすら否定し、結婚し子を産むことだけが女の理想の生き方だと信じ、そこから外れた生き方を一切認めない母。 親に自分の生き方を認めてもらえないというのはどんなに辛いことだろう。和歌の自己肯定感の低さは母の在り方に起因するものだと思う。
さて、最もよくわからないキャラクターなのが、仙太郎である。和歌の目を通じてしか描かれていないせいもあり、最後まで本心のわからない、不気味な存在だった。一つ、感じたのはプライドの高いタイプの男性なのかな、ということくらいである。プライドが高いから何のとりえもないような、自分の地位を脅かさない和歌と長年付き合い、和歌が成功し始めるとうまくいかなくなる。和歌の前では常に「仕事のできる仙太郎であり続けた」が、和歌の知り合いの編集者がみな仙太郎のことを知らなかった点、同棲を始めてからは家事に時間を費やしている点から、 途中から仕事も減っていたのではないかと思われる。仙太郎は果たして和歌が思っているほどの「売れっ子」だったのだろうか。 本当にすごい人だったのか。
仙太郎の発言には和歌を追いつめるようなものも目立つが、常に穏やかで、言っていることは一理ある(そして和歌にも非はある)ともいえるため、明らかなモアハラ男ともいえない。このあいまいさが怖い。仙太郎がよく見せる 笑顔が不気味で、和歌がその存在に怯えるのも無理はないと思う。そして、彼は本当に和歌が仙太郎や彼との生活より仕事を選んだから、和歌のことを捨てたのか、そうではなく、かつてのアーティストとしての自分としていられなくなったためにリセットが必要だったのではないかと勘ぐってしまう。

本書は仕事か家庭か、あるいは男と張り合うの張り合わないのという話ではなく、もっと個人の根底にある部分、つまり自己をどう評価し、自己肯定感をもって生きるかを描いた作品のように思えた。始終他者の評価に振り回されていた和歌が自分で自分のことをとらえられるように変化しているのは、ラストシーンで「祖母が筆をおいたのは周囲の圧力ではなく、自分の意志によるものだった」と考えるようになった点に現れている。
祖母の存在を心の中に抱きながら和歌は前に進んでいくのだろう。


飛鳥井千砂「砂に泳ぐ」(KADOKAWA)
アラサー女子をリアルに描く飛鳥井千砂さんの小説が好きで、『アシンメトリー』『学校のせんせい』『サムシングブルー』に続き、本書で4冊目の読了。



地方の携帯ショップ店員として働いていた紗耶加は、仕事のストレスやかみ合わない彼氏とのやりとり、そして自分の生きる狭い世界に息苦しさを覚え、上京する。
携帯会社のコールセンターで働き始めるものの、慣れない都会暮らしからストレスによる急性のめまいに襲われる。そんな紗耶加は自分を助けてくれた優しい男性、圭介と付き合い始めるが、彼の精神的不安定さや違和感を覚える言動に、次第に悩まされ、振り回されていく。圭介と別れ、もがきながらも、やがて紗耶加はフォトグラファーになるという自分の夢を切り開いていく。

本の帯を見ると、この小説は一人の女性が次第に強さを身につけていく成長物語であるかのように説明されているが、私の印象では、紗耶加は初めから芯の強い女性である。次々と店員が離職していく携帯ショップにおいて、同僚の嫌みやモンスター顧客にも屈せず働き続け、たった一人で身寄りのない東京へ向かい、ストレス性の病に襲われても決して故郷に泣きかえることなく、自分の居場所を見出していく。その姿はとてもたくましい。
一方で恋愛に対しては潔い反面、一種の冷たさのようなものを感じた。はじめの彼氏、智彦とは会話がかみ合わず、違和感を覚えるという理由で別れ、二人めの彼氏、圭介は精神的に弱く、紗耶加にすがりついてくるがそれも切り捨ててしまう。強いといえばそうなのかもしれないが、特に圭介の切り捨て方は、読んでいて彼がちょっとかわいそうな気もした。

さて、冒頭で書いたとおり、飛鳥井千砂さんの作品はリアリティがあって好きなのだが、飛鳥井さんは特に「人間関係が壊れていくさま」を描くのが上手だなあ、と思う。女の友情にひびが入るシーンや、今回の作品でいうと、彼氏とすれ違っていく会話などの描き方が卓越だと思うのだ。ただ、リアリティという部分から言うと、今回の作品は少し話がうまく運びすぎているかもしれない。後半の圭介と別れた後の紗耶加の葛藤などが描かれていると、より良かったと思う。

津村記久子「とにかくうちに帰ります」(新潮文庫)
心惹かれるタイトルだ。



ドラマティックな展開など一切ない、どこにでもある会社の取るに足らないような日々が淡々と描かれている小説。
起こる「事件」といえば、豪雨で交通手段が途絶え、帰宅難民になったり、インフルエンザで社員の多くが会社を休んだり、といったどこの会社でもありえるような出来事で、あとはマイナーなフィギュアスケートの選手の応援に興じたり、嫌なタイミングで仕事の依頼をしてくる後輩にいらっとしたり、職場の先輩にお気に入りの文房具を盗られたのではないかと疑ってみたり…と会社生活での小さな出来事が綴られているだけ。退屈で、そしてリアルな会社員の日々が丁寧に描かれている。

個人的に心惹かれたのは、「職場の作法」の「ブラックボックス」でスポットライトが当てられている、「田上さん」の仕事ぶりである。おそらく専門的な知識などは不要の一般事務的な仕事(資料作成?)の担当者である田上さんは、頼まれた仕事を即座にこなして自分の能力の高さを示すのではなく、時にわざと時間をかけたり、「それは難しいですねえ」とやんわりと断ったりすることで、「自分の仕事はそんなに簡単にはこなせない仕事だ」と示す「ブランディング」をしている、というのだ。そして「どんな扱いを受けても自尊心は失わないこと」「不誠実さには適度な不誠実さで応えてもいい」ということを心構えにしている。
できることをあえてやらないというのは、「能力のない人」とみなされそうで、私にはできそうにないが、面白い発想だなと思った。
この田上さんをはじめ、人が嫌がっている話題をそうとは気づかずに持ち出し続ける無神経な北脇部長や、体調が悪くても会社を休まず、できる社員オーラと病原菌を振りまいている山崎さんなど、「他人のふりみてわがふり直せ」ということわざを思い出させられるような人々がたくさん登場する。読む中で、「いるいる、こういう人!」と登場人物たちに共感したり、、「こんな仕事の依頼の仕方はダメだよなあ」と思わず我が身を振り返ったりしてしまった。
神田茜「ぼくの守る星」(集英社文庫)
ディスレクシア、という言葉を聞いたことがあるだろうか。
難読症、つまり文字の読み書きを極端に苦手とする学習障がいのことである。
そんなディスレクシアの少年が主人公の小説があると知って、さっそく読んでみた。



しかし、ディスレクシアのことだけを知りたいと思って読んだ人にとっては少し予想はずれの小説かもしれない。
本書は、ディスレクシアの少年、翔を主人公を中心に、誰かに認められたいと必死にもがく人々を描いた、連作短編小説となっているからだ。
言い間違いや読み違いが多く、うけをねらっているわけではないのに、クラスメイト達に笑われることに苦しむ翔。高校受験を目前に翔は将来の不安や母親との関係性にも向き合わざるをえない状況となっていく。
そんな翔の母親、和代は翔の障がいを未だに直視できておらず、さらには母親との確執、不在にしがちな夫、「勝ち組」だった自分の過去を抱えながら、虚勢を張って生きている。
翔の父親は仕事一筋で生きていくうちに家庭での居場所を失ったうえ、仕事でも挫折感を覚え、人生につまずきを感じている。
翔のことをちゃかしてばかりの山上は、亡き姉のことばかりにとらわれている両親のもとで、自分の存在価値を見いだせないでいる。
翔のクラスメイトで引っ込み思案のまほりは、無理心中未遂をはかった母親とともに暮らしながら、自殺の計画を立てている。

翔のまわりにいる人たちの状況がそれぞれシリアスなので、あまりに設定が暗すぎやしないか?とも思ったが、そんな自分の居場所を求めている人たちが、主人公翔のやさしさによって救われていくさまが温かい。そして、そんな人々を守ることによって翔自身もまた、自分の存在意義を見出していくことになる。
月並みだが、障がいの有無とは関係なく、人は支えあっていきているということに気づかせてくれる作品である。