妊婦と読書 ― ことばは、今も。
本好きOLが妊婦になりました。妊娠生活と、読書記録を綴ります。
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瀬尾まいこ「春、戻る」(集英社文庫)


結婚を控えた主人公のさくらの前に突然、兄だと名乗る男の子が現れる。どう見てもさくらより年下であるその男の子は、自分が兄だと言い張り、さくらの結婚相手となる予定の「山田さん」の営む和菓子屋を「偵察」したり、花嫁修業としてさくらに料理を教えたり。さくらと山田さんを遊園地デートに連れ出したりと、さくらの生活の中に強引なまでに溶け込んでいく。

男の子の正体を書いてしまうとネタばれになってしまうので、ネタばれにならない程度に感想を。

結婚前の女性に謎の若い男がまとわりついてくる、という設定は普通に考えたら和やかな話ではない。さくらのアパートの前で待ち伏せするという「おにいさん」の行為はストーカーだと言われても仕方がない。しかし、なんだかんだ言いながらもさくらはわりとすんなりと「おにいさん」の存在を受け入れている。山田さんに関してもそうだ。自分と結婚する予定の女性にまとわりつく男性がいたら、ふつうの男性は心穏やかでないものだろうが、山田さんもこの奇妙な人間関係を素直に受け入れてしまう。そのほか登場人物みなが異様なまでに善人、というのは瀬尾まいこ氏の他の作品にも共通してみられるある種のファンタジーである。さくらが封じ込めてしまった過去を乗り越えて進んでいく、という展開には晴れ晴れするが、この話の「オチ」の部分もあまりに善意に満ちていて、いやいやありえないでしょう、とつっこみを入れたい気持ちを否定できない。
全体的に現実味がない話といえばそうだが、疲れた時に読むとほっと心が和むかもしれない。
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江國香織「すきまのおともだちたち」(集英社文庫)
ちょっぴり奇妙な大人のための童話。



新聞記者の「私」は取材に訪れた街で道に迷い、不思議な見知らぬ町に迷い込む。そこで一人暮らしをしている「おんなのこ」と、おしゃべりができ、車の運転までできる「お皿」と出会い、客として招き入れられる。以来、「私」はおばあさんになるまでの長きにわたって、たとえばおしょうゆさしをあやまって倒してしまった時のようなふとした瞬間に、何の前触れもなく「おんなのこ」のいる世界にワープし、また何の前触れもなく、元の世界に戻ってこられるようになる。

自称9歳の「おんなのこ」はやたらと大人びてしっかりしており、大人の「私」に対しても「あなたは物を知らなさすぎる」などと容赦なく生意気な言葉を投げかける。「お皿」の発言はもっと辛らつだ。しかし、「私」はそれに対して怒ることもなく、素直に「旅人」としてふるまい、「お客」としてこの不思議な世界の住民たちに受け入れられていく。そのやりとりがなんとも奇妙だ。一方で、おいしそうな食事が出てきたり、海や「寒村」へ旅行に出かけたりと、「おんなのこ」との日々は童話的な楽しさにもあふれている。

「おんなのこ」が暮らす世界は時間が止まっているかのようで、「私」がいつそこを訪れても「おんなのこ」は9歳のまま。「過去の思い出」を持たない「おんなのこ」は自分が一人暮らしをする前の記憶、たとえば両親の記憶や赤ちゃんだったころの記憶を一切持っていない。過去も未来もない不思議な時間の中でその世界は存在している。

今いる世界とは違う時間軸の世界にワープできる、という設定は、昔読んだ『トムは真夜中の庭で』を思い出させてくれた。あのお話では、ワープする先の世界のほうが時間の進み方が速い、という少し切ない設定だったが、このお話では反対に時間がとまっているかのような世界にワープする、という設定なので、変わらないことへの安心感があるかもしれない。
タイトルにあるように、この不思議な世界は、今いる世界の時間と時間のふとした「すきま」に存在していて、「おんなのこ」たちはその中で変わらない、確固だる存在として生き続けている。
泉鏡花「高野聖」(角川文庫)
泉鏡花の代表作を含む、短編集。そういえば泉鏡花の作品は大学の授業で少し読んだだけで、よく知らないなと思い、手に取ってみた。文体が少々読みにくいが、慣れればそこまで苦ではない。



・義血侠血(ぎけつきょうけつ)
見世物小屋で人気を博し、大きな富を得ている美女、「滝の白糸」はたまたま乗った乗合馬車の車夫が金銭面の問題から志半ばで学問を断念したと知り、彼が東京で勉強するための金の援助をすると申し出る。はじめは順調に仕送りをしていたものの、次第に金の工面に苦労するようになり、挙句の果てには強盗に遭い、なけなしの現金を奪われる。追い詰められた「滝の白糸」は偶然通りかかった金持ちの家に強盗に入り、殺人まで犯してしまう。そして訪れた「滝の白糸」の裁判の日。検事代理として現れたのは、なんと東京で立派に学問を修めた、あの車夫であった。すべての事情を知った検事代理は「滝の白糸」を有罪とした上、自殺する。
「滝の白糸」の行動は短絡的且つ極端でなかなか理解しにくいが、話の展開は近世文学っぽいなと思った。この話では女性が男性に貢いでいるが、これが遊女の身請けのために男性が貢ぐ話であったらまさに近世文学である。

・夜行巡査
八田巡査は貧しい年寄りの車夫や母子に対しても容赦なく冷酷な対応をするが、その一方で自分の縁談を無にした憎き「伯父様」を助けるため、泳げもしないのに川にその身を投じて称賛された。いずれの行為も職務に忠実であるがゆえの行動であった。
規則、職務を何より重視する八田巡査にはあまり人間味が感じられず、「伯父様」を助けたのも美談ではなく、私情を挟まず職務に忠実であっただけのことである。そのため八田巡査をあまり好意的に見ることはできないが、それ以上に「伯父様」の性格が悪すぎて読んでいて不快である。

・外科室
手術を受けることになった貴船伯爵夫人は、うわ言で胸に秘めた思いを口にすることを恐れ、麻酔を拒否し、高峰医師によるオペの最中に死ぬことを選ぶ。実はこの夫人と高峰医師は9年前に出会っており、以来、ひそかに互いのことを思い続けていたのであった。
話があまりにあっさりしていて、一読しただけではその「オチ」の部分が分からなかったが、びっくりするような純愛ストーリーだったようだ。

・高野聖
高野山の旅僧は道中で出会った薬売りの男が道を誤って危険な旧道に入ってしまったと知り、彼を助けるために自らも旧道へと入っていく。蛭の大群に遭うなど恐ろしい目に遭った末、山中の一軒家にたどり着く。そこには障がいを持つ男と暮らす美しい女性がいた。妖艶な魅力で迫ってくるその婦人に心を乱され、旅僧は僧侶をやめ、婦人とともに生きることまで考えるが、実はこの婦人、ただの婦人ではなかった。かつては医師の娘として、手をかざすだけで病人の病を治す不思議な力を持っていたが、その後この山中に男と二人で閉じ込められてからは人を獣に変えてしまう能力を持つようになった。旅僧が助けようとした薬売りの男はとうに馬にされてしまい、売り飛ばされてしまった後だったと知る。
旧道の描写がとても不気味で恐ろしく、そのあと現れた婦人もいかにもいわくありげで、幻想的な世界を作り出している。憎たらしい薬売りの男を助けようとした優しい旅僧が無事に帰還できたという結末にほっとさせられる。

・眉かくしの霊
木曽街道奈良井の旅宿に泊まった境は、世にも美しい女性の霊に遭遇する。この女性は、底意地の悪い「代官婆」に苦しめられていた嫁と関係をもってしまった自分の愛人を助けるため、かつてこの宿を訪れ、命を落とした女性であった。
流れる不思議な水の音、誰もいないはずの風呂に漂う女の霊の気配、とこちらも「高野聖」同様、とても幻想的でその様子が目に浮かぶようである。それにしても「オチ」の部分の人間関係が複雑でわかりづらかった。
又吉直樹「火花」(文藝春秋)
お笑い芸人を描いているのに、悲しい作品だと思った。



若手お笑い芸人の徳永は、花火大会の余興で一緒になったことをきっかけに先輩芸人の神谷と知り合う。
神谷は余興の場でお客さんに地獄、地獄とひたすら怒鳴り散らし、初対面の徳永にいきなり自分の伝記を書くよう命じるなど、普通の人から見たら「おかしな人」でしかないが、徳永はそんな神谷をなぜか尊敬し、師匠と仰ぐ。その後、徳永が芸人をやめるまでの長年に渡る二人の不思議な「師弟関係」を描いて物語は進んでいく。
面白いことに、徳永の一番近くにいるはずの相方はあまり出てこない。小説のほとんどが徳永と神谷のエピソードで構成されている。

神谷は一般人としては社会不適合な存在であり、突然見知らぬ人に怒鳴り散らしたり、女に貢がせたお金で後輩に奢ったり、最終的には借金をふくらませ、突如謎の肉体改造を行ったりと「ヤバいやつ」ではあるが、独自の芸人魂と信念をを持ち、単純で純粋な男である。そのある意味真摯に芸人として生きる姿に惹かれる人がいるのだ。それが彼を養っている女性だったり、彼を師と仰ぐ徳永だったりする。

悲しいのは後輩である徳永のお笑いコンビ、スパークスのほうがそこそこ売れるようになり、テレビ出演も果たし、やがて解散という着地点を見つけるのに比べ、神谷は売れることもなく、芸人という生き方から一生抜け出せないと想像させられる点だろう。彼は永遠に芸人なのだ。たとえ売れていなくても、テレビに出られなくても。神谷は破滅的な運命をたどり、彼のこの後を考えると絶望的な気持ちになる。

芸人を目指しても、売れるのはほんの一握りの人間で、多くの芸人は貧乏暮らしのまま解散を迎える。たとえ売れてもそれがいつまで続くかはわからず、世間は冷たい。そんな芸人の世界の厳しさを改めて感じさせる小説でもある。
ただ、後半のシーンで神谷が、芸人に引退などない、芸人一人一人が絶対必要な存在なのだ、と説くシーンで、芸人の熱い思いのようなものを感じ、そこが彼らの、そしてこの小説の救いになっているように思えた。神谷の主張はもしかしたら又吉氏自身の信念なのかもしれない。

恩田陸「蜜蜂と遠雷」(幻冬舎)
国際ピアノコンクールを舞台に、四人のコンテスタントを中心とした人間模様と音楽を描いた小説。



プロのレベルとはかけ離れているが、私も学生時代は吹奏楽コンクールに出場し、今も趣味で音楽をやっているので、音楽の世界が独特であることや、コンクールのドラマ性などは実感できるものがある。
何百回、何千回と練習しようと舞台で演奏するのはたったの一度だけ、しかもコンクールにおいては、途中で選考から漏れてしまったら、それ以降の課題曲は一度も舞台で演奏せずに終わってしまうという、その無情さ。音楽は、演奏者のその時の精神状態を表し、変にあがってしまったら普段通りの演奏ができなくなり、今までの努力が水の泡になってしまうという恐怖。
また、プロになるには小さいころからひたすら練習に励み、楽器代、衣装代、渡航費などとにかく莫大なお金がかかるため、恵まれた家庭の子どもしか音楽を続けることはできず、さらには有名な先生に師事していないとコンクールで不利になるなど、音楽界の独特さも良く描かれている。

本書で中心的に描かれている四人は、一人一人様々な背景を持っており、偉大なる師、いつも連れ添ってくれた母、優しい祖母など、それぞれに多大な影響を与えてくれた人、いわばメンターを持っていて、そこに小説としての面白さがある。偉大な音楽家が遺した謎めいた推薦状に、異端のコンテスタント、自分を音楽の世界へと導いてくれた幼馴染との奇跡の再会など、いかにも小説らしい展開もあるが、随所で感動してしまうことも。特に栄伝亜夜が一次、二次へと進むにつれ、周囲のコンテスタントの影響を受けながら成長していくさまがよかった。
このような一人一人の背景と心境を読んでいるうちに読者はおのずといずれかのコンテスタントを応援したくなり、まるでひいきのチームが出場しているスポーツの実況中継を見ているような感覚で、はらはらとしながら結果発表のシーンを待ちわびるのだ。

そころで、ピアノコンクールが舞台なだけあって、この小説の大半はピアノの演奏シーンで構成されている。音を聴かせることのできない小説において、音楽を表現するのはさぞ難しいだろうが、それぞれの演奏者の音の特長や、曲が持つ歴史的背景、さらに後半ではその音楽から喚起される物語を表現することで、聴こえないはずの音を「聴かせて」いる。その表現力が素晴らしい。
とはいえ、やはりどんな曲か実際に聴いてみたいな、と思ったら、本書に登場するピアノ曲のCDも販売されていた。さすがだ。こちらも欲しくなってしまうのが人情である。





ところで、私はというと、天才肌タイプよりも一般人に近い人間に興味がわくらしく、「生活者の音楽」をめざし、楽器屋さんに勤務しながらコンクールに臨む最年長の明石を応援していたが、さて、果たして結果は…?