妊婦と読書 ― ことばは、今も。
本好きOLが妊婦になりました。妊娠生活と、読書記録を綴ります。
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原千代海・訳「イプセン ヘッダ・ガーブレル」(岩波文庫)
一読した印象は、性格の悪い新妻ヘッダの不可解な物語、といった感じだが、フェミニズム的な視点で見直すと、少し違ったヘッダ像が浮かび上がってきた。



話はヘッダと夫テスマンが新婚旅行を終え、新居に帰ってきたばかりのところから始まる。そこへヘッダの学生時代の後輩、エルヴステード夫人が夫のもとを飛び出して駆け込んでくる。彼女は愛するレェ―ヴボルクを追ってやってきたのだが、放蕩者のレェ―ヴボルクはヘッダの元恋人なのである―。

ヘッダはとにかく性格の悪い女である。夫テスマンへの愛も、テスマンの家族への思いやりもなく、人の好意をあだで返し、些細なことでいらいらし、他人の不幸を喜び、嫉妬深く、でも自分から何かをしようとはせず、不満を漏らし、退屈している。
はじめは読んでいてくすっと笑ってしまう程度の性格の悪さだったが、第2幕、3幕と進んでいくうちに読んでいて気分が悪くなるほどだ。
ヘッダは何がしたかったのか、と突っ込みたくなるが、彼女が望んでいたのは、自分の手を汚さずに、他人を駒のように動かし、悲劇的なストーリーが展開されていくのを傍観することではないか、と思う。しかし事態は彼女にとって最も望ましくない展開になってしまう。自殺させようとしたレェ―ヴボルクは、ヘッダが憎んでいる女の手によって殺されたようだし、その一件がもとで、ヘッダはブラック判事に弱みを握られてしまう。エルヴステード夫人とテスマンは原稿を通じて親しくなり、自分をのけ者にしだす。
ヘッダはやけっぱちのようにとんでもない行動に出る―。なんとも不幸な女だ。

なかなか理解しがたいヘッダのキャラクターだが、フェミニズム的な視点から見ると、ある種の主張めいたものが感じられる。
まず、タイトル。ヘッダは新妻であるにも関わらず、この劇のタイトルは結婚前の「ヘッダ・ガーブレル」である。結婚に対する反発のようなものがとれなくもない。
そして、レェ―ヴボルクとエルヴステード夫人の二人の力によって完成した、いわば二人の愛の結晶ともいえる原稿を「赤ちゃん」と呼び、それをヘッダが焼くシーン。これはそういったものを男性と築けない女性ならではの激しい嫉妬であるとともに、母性への憎悪、否定にも感じられる。(他のシーンでもヘッダが母になることを拒んでいるかのようなやりとりがある)
そしてラストシーンは男性から支配されることへの精一杯の抵抗のようにもとれる。
そうやって考えてみると、エルヴステード夫人も、一見献身的で保守的な女性のようで、家を飛び出してレェ―ヴボルク(愛人?)を追ってきた、意志の強い進歩的な女性のようにも取れる。
イプセンはこの作品を通じて、新しい女性のあり方を示したかったのだ―と考えるのは深読みだろうか。
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パウロ・コエーリョ・著、山川紘矢・山川亜希子・訳「ピエドラ川のほとりで私は泣いた」(角川文庫)


 小さな町で生まれ育ち、手堅い職を得、そろそろ結婚を...と平凡な人生を送っていた現実主義者の29歳のピラールのもとに、ある日、幼馴染の男性から「自分の講演を聴きにきてほしい」という手紙が届く。
12年ぶりに再会した彼は宗教家になっており、人々を癒し、教え導く奇跡の力を持っていた。
彼はピラールに12年来の愛を告白し、そして言う。自分と一緒に来てほしい、と。

ピラールは戸惑いながらも彼についていく中で、これまで失っていた本当の愛と信仰心を取り戻し、自分が本当にやりたいと思っていることに気づいていく。
一方で彼はピラールへの愛を断ち切り、このまま修道士として生きるか、彼女と結婚し、一般の人間として生きながら神に仕えるか,という究極の選択に迫られていた――。

信仰心のない私にとっては、聖母マリアをはじめとする神の女性性や、修道士の彼の説く奇跡の話は、 正直あまりよく分からない部分もあった。
しかし、一方で「人は失敗をおそれるあまり、“他者”に支配されるようになり、自分の本当にやりたいことを見失っていく」という話や、奇跡は毎日の生活の中にある、と説いている部分は以前読んだ「アルケミスト」と共通して筆者が主張しているテーマであり、無宗教の日本人でも分かりやすい。

3分の2くらい読んだところで、だいたい先が読めてしまったが、ラスト20ページで裏切られ、「えっ、こんな悲しい終わり方をするの?」と思ったら、エピローグで、いい意味で小さく裏切られた。
彼の奇跡の力は戻るだろう。そこには 苦しみもあるだろう。 でも自分の生きる道を見つけたピラールはきっと幸せなのだ。


サン=テグジュペリ・著、二木麻里・訳「夜間飛行」(光文社古典新訳文庫)
何のために飛ぶのか。



薄暗く、重い印象を持たせる小説である。
命を懸けて夜間郵便飛行を行う男たち。一機の飛行機の墜落事故を通じて、その人間模様を描く。

新婚でありながら地上の幸せに別れを告げ、死への飛行を続ける悲劇のヒーロー、パイロットのファビアン。
自分の命の行方をパイロットのファビアンにゆだねるしかない、同乗者の通信士。
ひたすらパイロットの無事を祈って待つ、哀れな若き妻。
たった一度の小さなミスで解雇されそうになるベテラン工員のロブレ。
冷徹に人々を罰することで何とか自分の威厳を保とうとするものの、自らの無力さを知っている監督官ロビノー。

しかし、この小説の中でひときわ存在感を放つのはパイロットではなく、地上で全線路に責任を負う、社長のリヴィエールである。彼はひたすらパイロットたちの運命を抱えて生きるという宿命に苦悩しながらも、事故を最小限に抑え、事業を成功させるために、非人間的な指示をも出し続ける。夜間飛行では少しの気のゆるみが命取りになる。小さな恐怖心がパイロットをだめにする。そこで彼が出す指示は機械的で冷たいものになるのだ。
最後のシーンで彼は墜落事故があったのちも後発の便の出発を見送らず、事故死したパイロットがいる空に再びパイロット達を送り出す。自分の意志を貫くために。彼は自分の心の弱さに勝利したのだ、それが正しい判断なのかはわからないけれども。

今を生きる人間を犠牲にしてまでやり遂げなければならない事業とは何なのか。
彼らが飛び続けることの尊さはどこにあるのか。
本書は読者に深い問題を投げかける。

最も美しいのは、ファビアン達が死にゆくシーン。
彼は暴風雨の中で嵐の裂け目を見つけ、上空を目指す。そこにあるのは、満天の星、そして満月。しかし、ファビアン達は二度と生きて下界に戻ることはできない。まるで天国へと昇華していくような、絶望的な悲しい美しさである。
パウロ・コエーリョ・著、山川紘矢・山川亜希子・訳「アルケミスト 夢を旅した少年」(角川文庫)
羊飼いの少年は夢を見た。
エジプトのピラミッドのそばに宝物が隠されていると、子どもが彼に伝える夢を。
少年はその夢を信じて、羊を手放し、さまざまな困難に遭いながらも宝物を目指して旅を続ける。



本書は一見気軽に読める児童小説のようだが、含蓄のある言葉にあふれ、大人のための童話、といった印象を受ける。
その点で、「星の王子様」に似ていると感じた。ただし、こちらのほうが直接的でスピリチュアルなメッセージ性に富んでいる。

少年がどうやって宝物にまでたどり着くのかを知るのは、読破した者のみのお楽しみとして、
特に気に入ったくだりを紹介したい。

★自分を縛っているのは自分自身
「世界最大のうそって何ですか?」
「それはこうじゃ、人は人生のある時点で、自分に起こっていることをコントロールできなくなり、
宿命によって人生を支配されてしまうということだ。それが世界最大のうそじゃよ」


少年は旅する中で、自分の夢より「人からどう見られるか」を気にして現状に甘んじているパン屋や、変化を拒み、夢を叶えることをあえてせず、一生そこにとどまろうとするクリスタル商人に出会う。
しかし、彼らも本気で変わろうとすれば現状を脱することはできるのだ。
自分を縛って可能性を奪っているのは、実は自分自身なのである。


★だれも自分の運命を教えてはくれない
彼は自分の運命から逃げないために、聞いてはいけないことがあることを学んだのだ。
「自分の意志で決定すると約束したんだ」と少年は自分に言った


少年は謎の老人(セイラムの王様)に、物事の前兆を教えてくれる石、ウリムとトムミムを授かる。しかし、少年が宝物を見つけるかどうかについて、ウリムとトムミムは何も教えてはくれなかった。
運命は誰かが明示してくれるものでなく、自分の意志で決めて、切り開かなくてはならないものなのだ。


★自分の心と向き合う
「なぜ、僕の心に耳を傾けなくてはならないのですか?」
「なぜならば、心を黙らせることはできないからだ。たとえおまえが心の言うことを聞かなかった振りをしても、
それはおまえの中にいつもいて、おまえが人生や世界をどう考えているか、くり返し言い続けるものだ」


砂漠を旅する中で少年は、このまま突き進んでいくことに対する不安、愛する女を置いてきた悲しみなど、様々な感情に襲われる。そんなときはとにかく自分の心に耳を傾けろ、と錬金術師は言う。
自分の心に背くのはつらいことだ。しかし、一方で自分の本心を知るというのは案外難しかったりする。ふだん、自分の心は雑音にまぎれて分からなくなりがちだからだ。
自分の心に耳を傾けるには、どうしたよいだろう。

年とともに挑戦することを忘れ、ぼんやりしている大人は、本作を読むと、どきっとさせられることだろう。


ツルゲーネフ・著、神西清・訳「はつ恋」(新潮文庫)
その甘く美しいタイトルからは予想できない、おぞましさや何ともいえない嫌な感情を駆り立てる小説。



裕福な家庭に育った16歳のウラジミールは、別荘の隣近所に越してきた零落した公爵家の娘、ジナイーダに恋をし、以来、勉強も何もかも手につかないほど彼女に夢中になる。ところがある日、ジナイーダがウラジミールの父親と恋仲であることに気づいてしまう。
夫の不倫に気づいたウラジミールの母の計らいにより、一家は引っ越しをすることになるが、その先でもジナイーダとウラジミールの父が密会しているのを目撃し、ウラジミールは衝撃を受ける。しかし、その後父は病死、ジナイーダも出産の際に命を落とすことになる。

このジナイーダは、零落した家庭の娘でありながら、何人もの男性をかしずかせ、もてあそぶ高慢ちきな女で、男性を虜にするような魅力がどこにあるのか、少なくとも同性の私からは全く理解できない。彼女の母親もお金のことしか考えていないいやしい女で、小説内ではその醜さが浮き彫りになっており、ますますこの家庭の魅力は理解できないのだ。
そしてジナイーダを囲む、主人公を含む男達もなんとも情けない。今風にいうなら、「ビッチな女とそれに振り回されるアホな草食系男子」といったところか。ウラジミールの父も冷淡な女たらしだし、母は財力だけを鼻にかけた人間だし、ろくでもない登場人物ばかりでうんざりしてしまう。
うーん、ロシア文学は私には合わないのかもしれない。

語り手は寡黙であり、具体的な表現を避けたり、省いたりしている個所が多い。たとえば、ジナイーダをウラジミールの父が鞭で打つシーン。なぜ彼が鞭打つことになったのか、その理由は全く書かれていない。それから、ウラジミールの母が大金をモスクワに送ったというエピソードも、誰への、何のための送金なのか一切書かれていない。ジナイーダへの手切れ金だろうか。そして何より、ジナイーダが死ぬまでのその後の経緯も全く分からないのだ。
私はさらっと読んでしまったが、そういった部分に想像をめぐらせ、じっくりと「行間を読んで」みるのもいいかもしれない。