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ヤスミンコ・ハリロビッチ・編著、角田光代・訳、千田善・監修「ぼくたちは戦場で育った」(集英社インターナショナル)


「子どものあなたにとって戦争とはなんでしたか」
自身も幼少期に戦争を体験したヤスミンコ氏が、子ども時代にサラエボ包囲戦を経験した1974年~1992年生まれの人に対し、SNSを通じてそう問いかけた。
そこで集まった人々の声によって本書は構成されている。

本の概要やサラエボ包囲戦についてはこちらのイベントレポートにまとめたので、ここではSNSを通じて寄せられた、当時子どもだった人たちの声について書いていきたい。
SNSには1500以上のメッセージが寄せられたそうだが、本書に掲載されているのはそのうちの1000あまりの短いメッセージである。

まず目をひくのが、食べ物に関する記述が非常に多いこと。戦争時の空腹の中、チョコレートなど憧れのお菓子を切望する気持ち、UNHCRによって支給されていたランチパックの思い出、そして絶望的にまずいというイカール缶詰について。
極限状態の中におかれたとき、食べることは生きることだという事実に気づかされるのだと感じる。
(ちなみにイカール缶詰のまずさは現地の人たちの中に強烈な記憶として残っており、記念碑まで立っているらしい。このあたりがサラエボの人のユーモアセンスである)

そして、子どもならではの「遊び」の思い出。その中に戦争が入り込んでいる点が印象的である。戦争ごっこ、砲撃の音をまねて大人たちをからかういたずら。戦争が子どもたちの遊びをむしばんでいるともいえるが、戦争さえも遊びに変えてしまう子どものたくましさと不謹慎さ、そして異常さを覚えた。
また、一方で戦争によって子ども時代を奪われ、「大人にならざるをえなかった」「一瞬で大人になった」という回答も目立つ。突然親を失ったり、水を運ぶなどの労働に携わらなけらばならなかった、本来遊び盛りだったはずの子どもたちを思うと胸が痛い。

困難な中だったからこそ、固い絆や友情が生まれたという声、また戦争の中でも、恋をした、という声も目立つ。
その一つを紹介しよう。
「かなしみとしあわせ。
かなしみ-世界でもっとも醜いものを見聞きさせられ、感じさせられた。
しあわせ-そういうのをぜんぶ、友だちと共有したこと
ダニエラ 1983年生まれ」
戦争だからといって子どもたちはすべてをあきらめた、というわけではない。そこには人間としての成長があり、仲間がいて、愛情が生まれる。人々はどんな状況でも「心」を失わずに生きている。

子ども時代というのは人生の中のほんのひとときで、一度通り過ぎてしまったら、もう二度と戻ってはこない。
戦争で奪われた彼らの子ども時代は二度と帰ってこないのだ。
その重みを強く感じ、何の罪のない彼らをそんな状況に追いやってしまった原因はなんだったのか、と思いを巡らせた。

最後にとても印象的だったメッセージを紹介したい。
「なんでもないときはいろんなものがほしいけど、戦争のとき、ほしいのはたったひとつ、そのなんでもないとき。 
アルディヤナ 1984年生まれ」
先日、パリでテロが起こった。シリアでは戦争が続いている。これらは遠い過去のことではなく、現在起きていることであり、日本にとっても他人事ではない。
平和ボケした日本人の目を開かせるようなメッセージが、この本にはつまっている。



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池上彰・編「日本の大課題 子どもの貧困」(ちくま新書)
タイトルは「貧困」だが、書かれているのは貧困問題だけではない。本書では「多重逆境」という言葉が登場するが、まさにその言葉通り、児童養護施設をめぐる幾重にも重なった問題が浮き彫りにされている。(ゆえに本書のタイトルは適切でないように感じる。)



本書は大きく分けて2部構成になっている。

第1部は対談形式で、池上彰氏と児童養護施設の施設長である高橋利一氏の対話を通じて、児童養護施設の歴史や仕組み、直面している課題などを知ることができる。
何かトラブルが生じた場合、まず児童相談所が子どもを引き取り、そこでの判断によって子どもは児童養護施設に預けられることになる。現在児童養護施設は民間のものが中心だが、高橋氏の施設をはじめ、赤字経営のところも多く、一部の篤志家や企業の寄付などによって支えられているのが現状である。
驚いたのは、「子育ては親の責任だから、税金を使って子どもを育てるのはおかしい」と主張する人がいること。
確かに本来は親が責任を持って子育てをするべきだが、それが成り立たないケースもあることが問題なのであり、自己責任として処理してその問題を放置した結果、しわ寄せはすべて子どもにきてしまう。結果、何の責任もない子どもが犠牲になってしまうのだ。それを防ぐためには、社会的養護を維持しなければならないと思う。

第2部ではより学問的に子どもの社会的養護の問題が分析されている。
施設に子どもを預けることになった親たちのデータから、彼ら彼女らが抱える、生活保護、DV、精神疾患など多重の問題が浮き彫りとなる。中でも目を引くのは、子どもの父親の氏名すらわからないケースが24%もあることをはじめ、父親不在のケースが非常に多いことだ。施設に子どもを預ける親の8割が一人親であり、そのほとんどがシングルマザーである。
典型的なのは、もともと実家や親せきに頼れる人がいない状態の母親がDVなどを理由に離婚し、貧困や精神疾患に陥った結果、子どもを育てられなくなる、というケース。母親にばかり子育ての負担が重くのしかかって、つぶれていってしまう状況に女性としては憤りを感じる。
先の話に戻ってしまうが、それでもやはり「子どもを育てるのは親の責任だから援助はいらない」と言えるだろうか。

とはいえ、まずは児童養護施設に預けられる子どもを減らしていくのがベストである。親せきや地域とのつながりが薄まっている現在、国や自治体が親子を支え、社会的養護なしでも幸せに暮らしていける環境をととのえていくことが求められている。
角田光代×千田善対談「ぼくたちは戦場で育った」
昨日は、「ぼくたちは戦場で育った」の日本語版出版を記念したトークイベントに行ってきた。

★☆「ぼくたちは戦場で育った」とは☆★



子ども時代にサラエボ包囲戦を経験した人たち(1974~1992年生まれの人たち)に対し、自身も戦争経験者であるヤスミンコ氏が、「あなたにとって戦時下の子ども時代とはなんでしたか?」と呼びかけ、集まったショートメッセージをまとめた本。旅先で本書と出会った作家の角田氏が翻訳を行い、千田氏の監修のもと、日本語版の出版が実現した。


★☆「サラエボ包囲戦」とは☆★
1992年~1995年に起こった戦争。ボスニア・ヘルツェゴビナの首都、サラエボが包囲され、多くの一般市民が犠牲になった。

当初は角田氏、千田氏お二人のみのイベントの予定だったが、急遽、原書の編者であるヤスミンコ氏も来日。
トークイベントでは、監修者の千田氏によるユーゴ紛争とサラエボ包囲戦が起こった歴史的背景等の説明、サラエボの紹介から始まり、角田氏とヤスミンコ氏の出会い、ヤスミンコ氏の体験談、本作りの苦労など話題が多岐に渡った。
あれもこれも書くと長くなるので、印象に残ったお話をいくつか。

★顔のない「数字」から顔のある「固有名詞」へ
例えば戦争の報道では、「何日に何人が死亡」という数字だけが一人歩きをする。そして戦争が長引けばやがて数字すら報道されなくなる。そこには戦場で生活する一人ひとりの顔がない。
しかし本書ではコメントを寄せた人の生年月日と氏名を入れている。そのことによって、戦時下を生きた一人ひとりの人間のあり方が生々しく伝わってくる。
サラエボ旅行中に死者の生年月日と名前が刻まれたトンネルを見て、当時いかに幼い子供たちがたくさん亡くなったかを痛感したと、角田氏は涙ながらに語っていた。戦争を無味乾燥な「数字」ではなく、「固有名詞」で捉えることの重さを感じた。

★ユーモアという武器
本書に書かれているのは、辛く恐怖に満ちた戦争体験――だけではない。そこには日常があり、笑顔すらある。
印象的だったのは、サラエボの人たちの持つ独特のユーモアだ。彼らは戦争さえもジョークに変えてしまう。トークイベント中もヤスミンコ氏からいくつものジョークが紹介された。日本人の感覚からしてみると不謹慎にも思えるが、ユーモアは誰も傷つけない武器、すなわち自分を守るものだという角田氏の話が印象的だった。戦時下でも楽しみを忘れないということは彼らにとって精一杯の抵抗だったのだ。

★同世代が戦争経験者であるということ
原書の編者、ヤスミンコ氏は1988年生まれ。そしてこの本にコメントを寄せてくれた人々は、先述のとおり、70年代から80年代生まれの人たちだ。つまり、ちょうど私と同世代の人々が戦争経験者として語っているということになる。
われわれ日本人にとって「戦争経験=祖父母から聞くもの」、という認識があり、ともすると戦争は過去のことだと思いがちだが、サラエボの若い世代が戦争を語ることによって、戦争は過去のものでも、ある地域に限られたものでもないのだと気づかせてくれる。

しかし、会場を見まわしたところ、想像していたよりも来場者の年齢層が高く、私と同世代の人々が少なかったのがちょっと残念だった。


肝心の本はまだ買ったばかりで通読できていないので、全部読み終わったら改めて感想などをまとめたい。
また、自分の知識のなさを痛感したので、この機会に旧ユーゴスラビアやユーゴ紛争について学びたいと感じた。