妊婦と読書 ― ことばは、今も。
本好きOLが妊婦になりました。妊娠生活と、読書記録を綴ります。
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彩瀬まる「あの人は蜘蛛を潰せない」(新潮文庫)
痛々しくて、ひりひりする。



主人公の梨枝は28歳。過保護で娘を支配しようとする、いわゆる「毒母」から否定的な言葉を浴びせられ続けて育ったせいで、自分に自信がなく、おどおどとした印象の女性である。そんな梨枝にはじめて年下の彼氏ができた。タイミングよく兄夫婦が母と同居するという話が挙がったこともあり、梨枝は母の呪縛から逃れるように一人暮らしを始めたー。

はじめはよくある母娘問題を取り上げた作品かと思ったが、そんな単純な作品ではなかった。とにかく出てくる登場人物全てが「闇」と触れてはいけない「地雷」を心に抱えており、それらを埋め合わせるかのように、何かに対して歪んだ施しを与えたり、極端に傾倒したりしてバランスをとっている、痛々しい人たちなのだ。

例えば、梨枝の義姉の雪ちゃん。彼女は医師の親を持ち、裕福な家庭に育った。結婚をし、子どももでき、一見幸せな生活を送っているように見える。一方で「自分に抵抗してこない、かわいそうなもの」に傾倒する癖のある夫の行動に苦しみ、それを埋め合わせるかのようにネットに依存している。忙しい両親のもとに育ったせいでいわゆる家庭料理と言うものがわからない、というのが彼女の心の「地雷」となっている。

他にも、鎮痛剤依存のサキさん、虚言癖のある中年男性、シスコンで、姉を追い詰めた両親を憎んでいる三葉くん、と誰をとってもどこかゆがんでいる。
こうしたゆがみは程度の差はあれ、おそらく誰しもが抱えているものであり、それは梨枝の母の言葉を借りれば、「みっともない」ということになるのだろう。それでも人は前を見て進んでいく。その姿勢が痛々しくて愛おしい。

彩瀬まる氏の本ははじめて読んだが、私と同年齢の作家であるためか、ストーリーはもちろん、登場人物の微妙な心理描写などに共感できる部分が多く、他の作品もぜひ読んでみたいと思う作家である。


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樺沢紫苑「読んだら忘れない読書術」(サンマーク出版)
月30冊の本を読み、年に3冊の本を出版し、毎日SNSで40万人に情報発信をしているという筆者が教える、読書術。



この本で紹介されている、読んだ本を記憶に残し、役立てるための読書術をいくつか紹介したい。

・インプットと合わせてアウトプットをする
本を読んで記憶に残すには、読書(インプット)をした後、アウトプットをするのが大事、とのこと。ここでいうアウトプットとは、マーカーを引く、本の内容を人に話す、書評やレビューを書く、など。
マーカーを引くのは良いと他でもしばしば聞くが、「本は汚したくないタイプ」の私はせいぜい付箋を貼る程度。レビューはここに書いているが、残念ながら「記録」は残っても「記憶」には残らない。記憶に残るアウトプットは容易ではないようだ。

・すきま時間を活用する
通勤時間にスマホを触るな、読書時間にしよう、と筆者。これはまさにおっしゃる通りで、忙しいのにたくさん本を読んでいる人を見ると、たいていすきま時間を有効に使っている。スマホばかりいじっている私としては反省させられる。

・本の難易度に注意する
初心者ほど難しい本を選んで挫折したり、理解できていないのに読んだだけでわかった気になる「残念な読書」に陥りがち。本は下記の3つに分類でき、その中で分野に応じて自分に適したレベルの本を選ぶのが大切。
「守」 基礎を学べる「基本」本
「破」 他人の方法を学べる「応用」本
「離」 自分のスタイルを模索するための「ブレイクスルー本」

全体的に私にとってはすでに知っていることばかりで、あまり新しい発見がない本だったが、つまりは上記の「本の難易度」が私には合っていなかったということなのだと思う。
本(特にビジネス書や自己啓発書など)を読みたいと思っているがほとんど読んだことがない人にとっては、勉強になる本かもしれない。



遠藤周作「おバカさん」(小学館)
世界一格好悪い、スーパーヒーローがここにいる。



絶版となった昭和文学の復刻版シリーズとして、ペーパーバックで読んだ。
遠藤周作というと「海と毒薬」「沈黙」といった「おかたい」作品しか知らない私にとってはいささか衝撃的な作品である。

物語の舞台は、東京。いかにも頼りないへっぽこな兄の隆盛と昭和のバリキャリ娘である妹、巴恵という漫画のような兄弟のもとに、自称ナポレオンの子孫である、フランス人のガストンがやってくるところから始まる。外国人自体が珍しかった当時、いったいどんなに立派な青年が現れるのだろうとそわそわする二人だったが、現れたのは馬面で間が抜けた、なんとも貧乏くさい男だった―。

このガストン、折角日本に来たのに、華やかな観光地にはいっさい訪れない。それどころかガストンが渡り歩いて目にするのは、日本社会の闇の部分ばかりである。新宿に行けばヤクザに絡まれ、宿を探し求めて迷い込んだのは渋谷のラブホテル。挙句の果てには殺し屋に連れ去られる始末で、踏んだり蹴ったりなのである。

そう、この作品、読者の笑いを誘う部分も多いが、扱っているテーマは案外重い。本書の端々に描かれているのは、愚連隊、日雇労働者、売春婦、戦犯、犬の殺処分、人種差別、そして暴力、人を憎む心などだ。
そんな日本の闇の中で、人を疑うことを知らず、すべての人に対して愚直に向き合っていくガストンは、バカというより、純粋そのもの、ピュアなのだ。
彼の片言の日本語が幼児性を強め、さらにピュアな印象を読者にもたらす。
そして、読んでいくうちに彼は日本を救いにきた、弱くて格好悪い、スーパーマンなのではないか?というような気がしてくる。
スーパーマンだから彼は来日した目的も行く先も告げず、流れ星のようにみんなの前から消えたのだ、と。

随所でくすっと笑いつつ、なんだかちょっと切なくなるのは、大人が失った信じる気持ちや素直な心をもったガストンが、実際には存在しえないファンタジーの中のヒーローだと思ってしまうからなのだろう。



原千代海・訳「イプセン ヘッダ・ガーブレル」(岩波文庫)
一読した印象は、性格の悪い新妻ヘッダの不可解な物語、といった感じだが、フェミニズム的な視点で見直すと、少し違ったヘッダ像が浮かび上がってきた。



話はヘッダと夫テスマンが新婚旅行を終え、新居に帰ってきたばかりのところから始まる。そこへヘッダの学生時代の後輩、エルヴステード夫人が夫のもとを飛び出して駆け込んでくる。彼女は愛するレェ―ヴボルクを追ってやってきたのだが、放蕩者のレェ―ヴボルクはヘッダの元恋人なのである―。

ヘッダはとにかく性格の悪い女である。夫テスマンへの愛も、テスマンの家族への思いやりもなく、人の好意をあだで返し、些細なことでいらいらし、他人の不幸を喜び、嫉妬深く、でも自分から何かをしようとはせず、不満を漏らし、退屈している。
はじめは読んでいてくすっと笑ってしまう程度の性格の悪さだったが、第2幕、3幕と進んでいくうちに読んでいて気分が悪くなるほどだ。
ヘッダは何がしたかったのか、と突っ込みたくなるが、彼女が望んでいたのは、自分の手を汚さずに、他人を駒のように動かし、悲劇的なストーリーが展開されていくのを傍観することではないか、と思う。しかし事態は彼女にとって最も望ましくない展開になってしまう。自殺させようとしたレェ―ヴボルクは、ヘッダが憎んでいる女の手によって殺されたようだし、その一件がもとで、ヘッダはブラック判事に弱みを握られてしまう。エルヴステード夫人とテスマンは原稿を通じて親しくなり、自分をのけ者にしだす。
ヘッダはやけっぱちのようにとんでもない行動に出る―。なんとも不幸な女だ。

なかなか理解しがたいヘッダのキャラクターだが、フェミニズム的な視点から見ると、ある種の主張めいたものが感じられる。
まず、タイトル。ヘッダは新妻であるにも関わらず、この劇のタイトルは結婚前の「ヘッダ・ガーブレル」である。結婚に対する反発のようなものがとれなくもない。
そして、レェ―ヴボルクとエルヴステード夫人の二人の力によって完成した、いわば二人の愛の結晶ともいえる原稿を「赤ちゃん」と呼び、それをヘッダが焼くシーン。これはそういったものを男性と築けない女性ならではの激しい嫉妬であるとともに、母性への憎悪、否定にも感じられる。(他のシーンでもヘッダが母になることを拒んでいるかのようなやりとりがある)
そしてラストシーンは男性から支配されることへの精一杯の抵抗のようにもとれる。
そうやって考えてみると、エルヴステード夫人も、一見献身的で保守的な女性のようで、家を飛び出してレェ―ヴボルク(愛人?)を追ってきた、意志の強い進歩的な女性のようにも取れる。
イプセンはこの作品を通じて、新しい女性のあり方を示したかったのだ―と考えるのは深読みだろうか。
松林弘治「子どもを億万長者にしたければプログラミングの基礎を教えなさい」(メディアファクトリー)
タイトルはぎょっとするが、プログラミングのことを全く知らない人を対象に、難しい言葉を一切使わず、プログラミング教育の概要を書いた良書。



本書はプログラミング教育を推奨するオバマ大統領の言葉の紹介からはじまり、IT業界の成功例、世界各国のプログラミング教育の現状、日本のプログラミング教室の紹介をしたのち、そもそもプログラミングとは何か、どんな意味があるのかを説明していく。さらに、教育用プログラミング言語やイベントの紹介を通じて、子どもにプログラミング教育を受けさせたいと思っている親の背中を押すような構成になっている。

プログラミング教育の現状についてはすでに知っていたので、私にとっては「そもそもプログラミングとはなにか」を説明した章がとても勉強になった。「アルゴリズム」と言えばNHKの「アルゴリズム体操」くらいしか知らない私のような人でも理解できるよう、簡単な算数の問題や日常生活の問題に置き換えて説明している点がとてもやさしい。(ちなみに、「アルゴリズム」とは問題を説く手順、その手順を書き下したものが「プログラム」であると学んだ)
また、最近さまざまな教育用プログラミング言語を耳にし、素人にはその違いが分からず混乱がちだが、主要なものがまとめて紹介されているので便利である。

プログラミングの世界は日進月歩で今日学んだものがすぐに使えなくなり、常に学習し続けなければならない、という現実の厳しさにはやはりちょっと躊躇してしまう。また、ブロックを並び替えるだけの教育用のプログラミング言語と実際のプログラミング言語とではレベルに大きな差があり、一部の人を除いて、本格的なプログラミングを学ぶのはハードルが高いように感じてしまった。

しかし、デジタルに囲まれて生きている今、漠然と「仕組みのわからないものに支配される恐怖」があるので、身の回りにあるものが実際どういう仕組みで動いているのかを知っておくことは、子ども・大人を問わず、必要なことなのではないだろうか。
そしてそれだけでなく、本書を読むとプログラミング教育とは子どもの創造性を育むものだと実感できる。我々はプログラミングというとひたすらパソコンに向かう、非人間的で無味乾燥なもの、と思いがちだが、そうではなく、プログラミング教育は取り組み方次第で人とのコミュニケーションを生む、クリエイティブで魅力的なものだと感じられるだろう。

それにしても、このタイトルにしたことにより、本来届けたい読者に本書が届かなくなってしまっている気がする。
「おわりに」から察するに、筆者もこのタイトルにすることに戸惑いがあったのではないか?
本の内容とタイトルにギャップがあるのが残念。